1980年 : 33歳
- 1月5日
- 米NBCテレビの「サタデー・ナイト・ライヴ」に出演。故クラウス・ノミ、ブロンディらと共演する。
- 2月
- アンジーと正式に離婚。ゾウイの親権はボウイが獲得。
- 3月
- 宝酒造の「純・ロック・ジャパン」のCM撮りのために極秘来日。京都に滞在中、市内のライヴハウスや喫茶店に出現しファンを驚かせた。ボウイはCMのバックミュージックも担当「Crystal Japan」はシングルとしてリリースされた。離日直前に記者会見を行った。
- 7月26日
- 演劇『The Elephant Man』の主役、ジョン・メリック役を演じる。デンバーから始まった公演は26週(上演回数157回)のロングランとなり大成功を記録する。
- 8月1日
- シングル「Ashes To Ashes」発売。全英1位となる。英国では3種類のスリーヴで発売された。
- 9月12日
- アルバム『Scary Monsters』を発売。NYパワー・ステーションで録音された本作には、ギターでザ・フーのピート・タウンゼント、「”Heroes”」でもギターを弾いたロバート・フリップらが参加。
- 9月23日
- 『The Elephant Man』のブロードウェイ公演が封切りとなり、翌年1月4日まで上演された。
- 10月24日
- アルバムからのシングルカットで「Fashion」が発売。
1981年 : 34歳
- 1月2日
- シングル「Scary Monsters」を発売。
- 1月
- レコード・ミラー紙1980年度リーダース・ポールで男性歌手部門第1位に選ばれる。「Ashes To Ashes」はヴィデオ部門第1位、シングル部門第2位を獲得した。またアルバム「Scary Monsters」もアルバム部門第2位・ベストジャケット部門第3位となった。
- 2月
- BBCデイミラー・ラジオ1の投票による最優秀男性歌手に選ばれトロフィーを受賞。
- 3月
- シングル「Up The Hill Backwards」を発売。
- 4月
- コンサート場面に出演した映画『クリスチーネ・F』公開。劇中で歌う「Station To Station」などを含む全曲ボウイのサントラが01年に発売される。
- 11月
- クイーンとの共作「Under Pressure」がクイーンのシングルとして発売され全英No.1ヒットとなる。
ボウイ自身の選曲によるベスト盤第2弾『Changes Two Bowie』発売される。
1982年 : 35歳
- 1月
- NMEの1981年度リーダース・ポールでNo.1男性歌手、No.3ソング・ライターに選ばれる。
- 2月2日
- BBCテレビのドラマ『BAAL』に主演で出演。ブレヒト原作のこのドラマへの意気込みは低額なギャラにも拘わらず、サントラまで手がけたということからも伺える。
- 3月
- 映画と同名の主題歌「Cat People」をジョルジオ・モロダーと共作し、大ヒットを記録する。
ラロトンガ島にて映画『戦場のメリークリスマス』の撮影開始。 - 11月
- クリスマス商戦にあわせて77年収録のビング・クロスビーとのデュエット曲「Peace On Eaeth/Little Drummer Boy」がシングルカットされ、ヒットチャート3位まで上昇。
ピクチャー・シングル10枚組『Fashions』が世界25000部限定で発売される。 - 12月
- タイトルとおりにレア音源を集めた編集盤『Rare』が発売(輸入盤のみ)。これはRCAがボウイの許可を得ず独断でリリースしたもの。
1983年 : 36歳
- 1月
- RCAとの契約が終了したのを契機にEMIアメリカに移籍。新契約はアメリカ国内のみならず全世界を対象とした長期的なもので、その契約料はジョン・レノン、スティービー・ワンダーを上回る44億円近いと言われる。
NYとロンドンで記者会見を行い、大規模なワールドツアーを行う意向を表明。 - 4月14日
- アルバム『Let’s Dance』世界同時発売。「Let’s Dance」「China Girl」「Modern Love」の3曲が各国で1位を獲得するなど大ヒット。この3曲のクリップを収録した『Video EP』も発売。「China Girl」のヴィデオは恋人役の中国人女性との過激なラヴシーンのカット版が各国で放送された。
- 4月
- 朝日新聞に4回にわたってボウイのロング・インタヴューが連載される。日本のジャーナリストが行ったものでは最長。
カンヌ映画祭に『戦場のメリークリスマス』、『ハンガー』、『ジギー・スターダスト』の3本が出品され、ボウイも出席し、記者会見を行った。
映画『ハンガー』が欧米で公開。カトリーヌ・ドヌーヴと共演したボウイは吸血鬼の役だった。 - 5月18日
- ブリュッセルより”シリアス・ムーンライト・ツアー”がスタート。16ヶ国57都市97コンサート、動員観客数260万人という大規模なツアーだった。
5月下旬、ヴァン・デル・ポスト原作、大島渚監督『戦場のメリークリスマス』公開。共演は坂本龍一、ビートたけしなど。作品同様ボウイの演技についても高い評価を得た。 - 8月
- 『Let’s Dance』のヒットに便乗し、過去にボウイが在籍したデッカやRCAがベスト盤を次々と発売。
- 9月4日
- トロント公演、ミック・ロンソンの飛び入りで10年ぶりの共演が実現。
- 10月16日
- 日本公演のため来日。18日は記者会見、20日の武道館を皮切りに日本公演がスタートする。
- 10月30日
- 大阪公演。管理体制の不備から観客がステージに押し寄せコンサートが中断。3人が将棋倒しの下敷きになり負傷するという事件が起きた。
- 11月
- 『ジギー・スターダスト:ザ・モーション・ピクチャー』が10年の歳月を経て劇場公開。併せてサントラ『Zissy Stardust The Motion Picture』とシングル「White Light / White Heat」発売。
- 12月8日
- 香港公演。ジョン・レノンの命日にあたるこの日ボウイは「Imagine」を歌った。
1984年 : 37歳
- 3月
- 古巣RCAが過去の5タイトルをピクチャー・ディスク(LP)で再発する。
- 4月
- ライヴヴィデオ『シリアス・ムーンライト・コンサート・1983』がにっかつより発売。
- 5月
- 初期の映像作品『Love You Till Tuesday』が15年を経てデッカよりリリース。サントラも同時発売とされるが、音源はそれまでに海賊盤で広く普及していた。
この頃旧作カタログがRCA(日本ではRVCが販売)により、CD化される。 - 8月
- MTVのヴィデオ大賞ベスト・ヴィデオ男性部門に「China Girl」がノミネートされる。
- 9月24日
- アルバム『Tonight』発売。同時にシングル「Blue Jean」と22分に及ぶヴィデオ「Jazzin’ For Blue Jean」発売。このヴィデオではボウイは一人二役を演じている。監督はジュリアン・テンプル。
- 11月
- アルバムからのシングルカット第2弾はイギー・ポップと共作の「Tonight」。
バンド・エイドに参加。
1985年 : 38歳
- 1月10日
- 北沢杏里によるボウイ初となる詩集『デビッド・ボウイ詩集-オディティ』が発売。
- 1月16日
- 病状の悪化した義兄テリーが鉄道自殺をはかり死去。ボウイは葬儀に参列しなかった。
- 3月23日
- ティナ・ターナーのライヴに特別出演。3曲をデュエットした。
- 3月
- パット・メセニー・グループとの共作シングル「This Is Not America」発売。映画『ファルコン・アンド・ザ・スノーマン』の主題歌にもなりヒットする。
- 5月3日
- 殺し屋役に扮した映画『眠れぬ夜のために』が公開。
- 5月
- リミックス・シングル「Loving The Alien」発売。変形ピクチャー仕様の限定盤も発売された。
RCAから数枚目のベスト盤『Fame And Fashion』発売。 - 7月13日
- ライヴ・エイドに出演。イギリス側のステージでライヴを行った他に、ミック・ジャガーとのデュエット曲「Dancing In The Street」のヴィデオを初披露した。
- 8月
- シングル「Dancing In The Street」発売。売り上げはアフリカ難民救済基金に寄付された。
1983年ツアー時のプライベート・フィルム『リコシェ』のヴィデオが発売。
1986年 : 39歳
- 3月
- 映画『ビギナーズ』が公開。ボウイの歌う主題歌「Absolute Beginners」がシングル・チャート第1位のヒットを記録する。監督は「Blue Jean」のヴィデオで顔を合わせたジュリアン・テンプル。
- 6月
- ゴブリンの王役に扮した映画『ラビリンス『公開。主演のジェニファー・コネリー人気やSFXを駆使したファンタジーで大ヒットを記録。同時に発売されたシングル「Underground」、翌年1月発売の12インチ「Magic Dance」は『ラビリンス』のサントラに収録されいる。
- 10月
- ボウイが共作・プロデュースしたイギー・ポップのアルバム『Blah, Blah, Blah』が発売。
- 11月
- シングル「When The Wind Blow」が主題歌となった反核アニメ映画『風が吹くとき』が公開される。
1987年 : 40歳
- 1月
- 4年ぶりのワールド・ツアー”Glass Spider Tour”の計画が発表される。
- 4月20日
- アルバム『Never Let Me Down』世界同時発売。シングル「Day-In Day-Out」のヴィデオ内容に問題があるということでイギリスとオーストラリアでは放映禁止。カット版のみ放映された。
- 4月
- シングルと12インチ「Time Will Crawl」を発売。続いてアルバムからの第3弾「Never Let Me Down」も発売される。3曲のクリップを収録した「Day-In Day-Out」も発売。
- 5月30日
- “Glass Spider Tour”初日。ロッテルダムを皮切りにワールド・ツアーがスタートする。このツアーでの来日は、巨大なステージ・セットが収容できる会場がないということで見送られた。
- 6月6日
- ベルリン公演。東ベルリンのファンが壁際に多数押し寄せ、逮捕者が出る騒ぎとなった。
- 10月
- ボウイに乱暴を受けたという女性が大衆紙に記事を発表。ボウイ陣営はこの女性の売名行為に過ぎないと反撃。ダラス地裁の審理によりボウイ側の完全勝訴となった。
- 11月6-7日
- 4シドニー公演。ライヴヴィデオを収録。ゲストとしてチャーリー・セクストンが参加。
1988年 : 41歳
- 7月1日
- ライヴ・ヴィデオ『Glass Spider Tour ’87』がバップより発売。
- 7月
- ロンドンで開催された現代芸術協会の記念祭に参加。舞踏団ラ・ラ・ラ・ヒューマンステップスと共に出演。
- 9月4日
- ソウルオリンピック前夜祭記念番組「TVオリンピック」に出演。NYのスタジオで1曲歌う。さらに坂本龍一と衛星を通じて日本語で会話し話題となった。
1989年 : 42歳
- 2月
- ライヴ・ヴィデオ『Glass Spider Tour ’87』がグラミー賞にノミネートされる。
- 4月
- 新バンド、ティン・マシーンの結成を発表。会見では期間限定の活動であることや、すでに30曲以上のレパートリーを備えていることを表明。
- 5月22日
- 新バンド『Tin Machine』のデビュー・アルバムが発売となる。「Under The God」や「Tin Machine」、「Prisnor Of Love」などがシングル・カットされ話題にはなったもののヒットには至らなかった。
- 6-7月
- ティン・マシーンの欧米ミニツアーを敢行。ボウイの意向により、いずれも収容人数1,000人程度の小さな会場が選ばれた。
- 9月
- 未発表音源多数のボックスセット『Sound And Vision』が米ライコ社より発売。紫の透かし印刷を施したクリアカヴァーのボックスにCD3枚(46曲)とCDV1枚(3曲+ヴィデオ)、分厚いブックレットが収められており、ボウイのキャリアを総括した内容だった。