1990年 : 43歳
- 1月23日
- ロンドンのレインボー・シアターにて”Sound+Vision”ツアーの記者会見を行う。さらにRCA時代の旧カタログの販売権を東芝EMIが獲得し、それらがCD化のうえ再リリースされることを発表(欧米はライコ社が獲得)。ここで過去のヒット曲をライヴで演奏するのはこれが最後だと宣言した。
- 3月
- シングル「Fame ’90」を発売。限定盤はピクチャー・ディスクとなっている。
- 3月4日
- カナダのケベックより大規模なワールドツアーを開始。内容はグレイテスト・ヒットなものだった。
- 5月9日
- 東芝EMIが旧カタログ15タイトルをCDフォーマットで発売開始。プレゼント・セールとして複数タイトル購入者にはテレホン・カードが進呈された。また同日『Changes Bowie』なる新たなベスト盤もリリースされた。
- 5月15日、16日
- 東京ドーム公演。後にNHKが完全収録のライヴ番組を放送する。
同年のツアーに参加したエイドリアン・ブリューのアルバム『Young Lions』にゲストで参加。 - 10月
- 主演映画『ニューヨーク恋泥棒』が欧米にて公開(共演はロザンナ・アークエット)。コメディ・タッチの作品に初挑戦した。
- 12月
- 808ステイトのリミックス3種を収録したシングル「Sound And Vision」が発売。
1991年 : 44歳
- 8月16日
- ティン・マシーンのワールド・ツアーがアイルランド、ダブリン公演よりスタート。
- 8月27日
- アルバム『Tin Machine Ⅱ』を発売。同時にシングル「You Belong In Rock’n Roll」を発売。
- 10月
- ティン・マシーンのシングル「Baby Universal」を発売。もう一枚「One Shot」もシングル・カットされ、翌年には『Radio Session Tin Machine』なるBBCスタジオ・ライヴを4曲収録したタイトルも発売となる。
大ブームを巻き起こしていたデヴィッド・リンチ監督の映画版『ツイン・ピークス 最後の7日間』に出演。
米ライノ社より60年代バンド在籍時の音源を集めた編集盤『Early On 1964-1967』が発売。
1992年 : 45歳
- 1月29日
- ティン・マシーン来日公演が京都第一会館よりスタート。約3週間滞在し、全国9ヶ所を廻る。
- 4月20日
- フレディ・マーキュリー追悼コンサートに出演。アニー・レノックスと「Under Pressure」を歌う。
- 4月27日
- 黒人のトップ・モデル、イマンとスイスのローザンヌで結婚。イマンも一人娘を連れている。
- 6月6日
- フィレンツェで挙式。ハネムーンは日本、バリなどに滞在。
- 7月
- ティン・マシーンのライヴ盤『Oy Vey, Baby』発売。日本公演のテイクも収録している。
- 8月
- 実写とアニメによる映画『クール・ワールド』の主題歌となったシングル「Real Cool World」を発売。ソロ名義だがティン・マシーンの活動が継続されるものと思われたのか、あまり話題にはならなかった。
- 6月10日
- ボウイを撮り続けている日本人カメラマン、鋤田正義の写真集『氣』がTOKYO-FM出版より発売。
1993年 : 46歳
- 3月
- ソロ復帰として注目を集めた、新生ボウイの第1弾シングル「Junp They Say」発売。
フィリップ・グラスによる『Low Symphony』が発売。 - 4月15日
- BMGビクターに移籍した通算21枚目のアルバム『Black Tie White Noise』を発売。
- 4月29日
- ミック・ロンソンが肝臓癌により46歳の若さで逝去。
- 6月
- シングル「Black Tie White Noise」を発売。
- 10月
- シングル「Miracle Goodnight」を発売。
- 11月8日
- 2枚組のベスト盤『The Single Collection』が発売。
同日ハニフ・クレイシ原作のTVドラマ『郊外の仏陀』のサントラ『The Buddha Of Suburbia』発売。これはボウイが全曲を手がけているのでアルバムと考えてもよい。タイトル曲はレニー・クラヴィッツがギターを弾いたトラックも収録されており、シングルカットもされた。 - 12月1日
- ヴィデオ『Black Tie White Noise』が発売。プロモーションヴィデオやライヴクリップ、インタヴューなど収録。
1994年 : 47歳
- 2月9日
- 過去のヴィデオクリップ25作品を収録した『The Video Collection』が発売。
- 3月
- イギリスの季刊美術誌モダン・ペインターズに出資し、経営陣に名を連ねる。
オフィシャル・ウェブサイトbowieNet開設。ミュージシャンとしてはネット参入に1番乗りしたといえる。
インタラクティブCD-ROM『Jump』を発売。『Black Tie White Noise』のヴィデオを多角的に楽しめるものだった。 - 4月
- 長らく海賊盤でリリースされ続けていたジギー時代のライヴ盤『Santa Monica ’72』が発売。ボックス製のものや7インチ付きのCDなど数種類リリースされた。
MTVからアンプラグドへの出演を依頼されたがキャンセルする。 - 4月26日
- 故ミック・ロンソンの未完成だった『Heaven And Hull』が発売。ボウイは2曲に参加している。
- 11月1日
- ニルヴァーナの『MTVアンプラグド』が発売。ここにボウイの「The Man Who Sold The World」が収録されたことで、アメリカや世界中のロックキッズの間でボウイの再評価が試みられる。
- 11月17日
- ボウイの絵画作品を含む展覧会がバークレイ・スクエア・ギャラリーで開催。
イーノの呼びかけもあり、インターネットを通じたチャリティー、”War Child”を開催。
1995年 : 48歳
- 4月18日
- ボウイの初の個展『NewAflo / Pagan』がロンドン・コーク・ストリート・ギャラリーで開催される。しかしロック界出身の画家は手厳しい評価を受ける。
- 6月
- 故アンディ・ウォーホールに扮した映画「バスキア」に出演。本人の遺物(カツラなど)を用い、好評を博す。共演はデニス・ホッパー、ゲイリー・オールドマンほか。
ボウイがモントレー・ジャズ・フェスティバルのポスター・デザインを手がける。
同年のツアーに参加したリーヴス・ガブレルスのアルバム『The Sacred Squall Of Now』に参加。 - 9月14日
- ”アウトサイド・ツアー”がアメリカよりスタート。北米公演のサポート・アクトはナイン・インチ・ネイルズ。ワールド・ツアーは翌年10月までの長期に渡るものだった。
- 9月25日
- 猟奇殺人事件をコンセプトにしたアルバム『1.Outside』を発売(米国での販売はヴァージン)。プロデュースは約15年振りの顔合わせとなるブライアン・イーノ。
- 9月
- シングル「The Hearts Filthy Lesson」を発売。これはデヴィッド・フィンチャー監督の「セヴン」の主題歌となった。シングルにはナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーによるミックスも収録された。
- 11月
- シングル「Strangers When We Meet」を発売。
アヴァ・チェリーの73年に制作されたアルバム『People From Bad Homes』発売。ボウイは作曲とプロデュース、アレンジをヴィスコンティが担当している。
『Santa Monica ’72』をリリースしたGolden Yearsレーベルよりレア音源を集めた『Rarest One Bowie』が発売となる。このレーベルはボウイに無許可のリリースを続けているが、権利上の問題はないとされている。
1996年 : 49歳
- 2月
- シングル「Hallo Spaceboy」はペット・ショップ・ボーイズのリミックス・ ヴァージョンで発売。
- 2月19日
- アールズ・コートで開催されたブリット・アワード授賞式に出演。ボウイは功労賞を受けてPSBとの共演をふくむ3曲のステージを披露。
- 6月4-5日
- ”アウト・サイド・ツアー”で来日。両日は武道館公演でオープニング・アクトは布袋寅泰が務めた。日本では6ヵ所8公演が行われた。来日記念盤として『1.Outside』はボーナス・ディスクをつけたものが発売となった。
- 9月11日
- シングル「Telling Lies」3種のミックスを週替わりでオフィシャル・サイトにてダウンロード販売。最初の4日間で約46,000人がダウンロードし、大きな話題を呼ぶ。
- 10月19-20日
- ブリッジ・ベネフィット・コンサートに出演。他にもニール・ヤング、バール・ジャムなどが参加した このイベントは『The Bridge School Concert』として翌年リリースされ、ボウイは「”Heroes”」が収録された。
- 10月25日
- VH-1ファッション・アワードに出演。発売に先駆けて「Little Wonder」を披露。
1997年 : 50歳
- 1月9日
- マディソン・スクエア・ガーデンで50歳のスペシャル・バースデイ・ライヴを行う。豪華ゲスト陣にロバート・スミス(ザ・キュアー)、ビリー・ コーガン(スマッシング・パンプキンズ)、ソニック・ユース、フー・ファイターズ、そして盟友ルー・リードが出演、観客動員は17,000人を記録した。
- 1月
- アルバムに先駆けてシングル「Little Wonder」を発売。
ボウイの過去の楽曲のロイヤリティ収益を背景とする債券、ボウイ・ボンドが発行される。A3の格付けを得た期間10年、最終償還期限15年の確定利付債券が、初のロックを証券化したもの。 - 2月4日
- アルバム『Earthling』を発売。先のツアー中にメンバーと即興で作り上げたアルバムで、予告されていた『1.Outside』の続編となるアルバム『2,Contamination』は見送られることとなった。
- 2月12日
- ハリウッドの”ウォーク・オブ・フェイム”の星型敷石を授与される。
- 4月
- シングル「Dead Man Walking」を発売。デジパック仕様の限定盤シングルが存在する。
- 7月2日
- デラム時代の音源を集めた編集盤『The Deram Anthology』が発売。CDでまとめて聴くことができるようになったが現在は廃盤。だが、その後も再発があり今でも聴くことは可能。
- 8月27日
- チャリティ・アルバム『Long Live Tibet』発売。アルバム未収録の「Planet Of Dreams」が収録されている。この収益はチベット・ナショナル・トラストに寄付された。
- 8月
- シングル「Seven Years In Tibet」は限定盤で北京語ヴァージョンを収録。
Tao Jones名義の12インチ・シングル「Pallas Athena」を発売。
ミック・ロンソン追悼コンサートが彼の故郷ハルで開催。
フィリップ・グラスのベルリン3部作第2弾『Heroes Symphony』が発売。初回限定盤にはAphex Twinの「”Heroes”」のリミックスを収録したシングルが付属する。 - 10月
- シングル「I’m Afraid Of Americans」が発売(米国・カナダ)。トレント・レズナーのミックスを収録。
- 10月15日
- 海外雑誌GQ主催する”Man Of The Year”に出演。会場はNY・ラジオ・シティ・ミュージック・ホール。
この頃モダン・ペインターズの編集者や美術界の知人たちと出版社”21”を設立する。 - 12月3日
- 『The Best Of David Bowie 1969/1974』が発売。70年代を2枚に分けた新機軸のベスト盤。
1998年 : 51歳
- 1月
- bowienetが会員制有料コンテンツを儲け、ASP事業も開始する。
- 3月
- ギャングスタ映画『エブリバディ・ラブズ・サンシャイン』にボス役で出演。共演はゴールディー。
- 6月24日
- 『The Best Of David Bowie 1974/1979』が発売。前年発売のベストの後編。
- 9月4日
- シングル「I Can’t Read」を発売。ティン・マシーン時代の曲をアコースティックでリアレンジした。
- 12月
- グラム・ロックをテーマにした映画『ヴェルヴェット・ゴールドマイン』公開。グラム・リバイバルを巻き起こすヒットとなり、若い世代のボウイファンが急増する。ボウイ本人は楽曲の使用を許さなかった。
映画で共演したゴールディーのアルバム『Saturnz Return』にヴォーカルで参加。
1999年 : 52歳
- 1月
- プラシーボのシングル「Without You I’m Nothing」発売。ボウイはヴォーカルで参加。
- 2月17日
- ブリット・アワード授賞式でプラシーボと共演。T-REXの「20th Century Boy」を歌う。
ボウイがキャラクターになった海外製ゲームソフト『Omikron』発売。サントラにも楽曲を提供した。 - 5月8日
- ボストンのバークリー音楽学校より博士号を授与され、式典に出席。
- 8月23日
- VH-1ストーリー・テラーズにて最新作となる『’Hours…’』の楽曲が初披露された。
- 9月14日
- 旧カタログ(ライヴ盤をのぞく)が24bitデジタル・リマスタリングで再発される。
- 9月22日
- トップ・オブ・ザ・ポップス出演から、TV出演がメインの欧州プロモ・ツアーをスタートさせる。
- 9月29日
- アルバム『’Hours…’』を発売。前作のデジタルな路線から一転、シンプルなサウンドを聞かせる。
- 9月
- アルバム先行シングル「Thursday’s Child」数種が発売。この頃からエンハンスドCDが増える。
- 10月9日
- インターネットを駆使したチャリティ・イベント、NetAidに出演。イマンもプレゼンテーターとして駆けつけた。
- 10月
- 『’Hours…’』からのシングルカット第2弾「The Pretty Things Are Going To Hell」を発売。
bowieNetがWIREDアワードの99年ベスト・エンターテイメント・サイト賞を受賞。